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2017.11.11
松永佳也弓 その4
弓の末弭、本弭を見てみましょう。

もちろん上作と並作相当の弓ですから、変わりはありません。
これは肥後三郎弓や松永重宣弓との違いがあるようです。

とはいえ、やはり松永重宣弓系ですね。角をあまり切り落とさずに立てています。
肥後三郎弓毛糸の違いはどういう理由なのか?そこは謎です。
ただ、鼻の長さは昔の弓に比べて長くなっています。これは何か秘密があるのでしょうか?
本弭です。
ピンボケ気味ですが、丁寧な作業は刃の後でわかりますね。
松永系の末弭本弭は形が穏やかで、どの弦もかけやすい形状です。
こなれてきたら、日の輪も月の輪もできる限り締めるように、弦をかけたいですね。

早く育て行きたいですが、まだまだ時間が取れません・・・
。

もちろん上作と並作相当の弓ですから、変わりはありません。
これは肥後三郎弓や松永重宣弓との違いがあるようです。

とはいえ、やはり松永重宣弓系ですね。角をあまり切り落とさずに立てています。
肥後三郎弓毛糸の違いはどういう理由なのか?そこは謎です。
ただ、鼻の長さは昔の弓に比べて長くなっています。これは何か秘密があるのでしょうか?
本弭です。
ピンボケ気味ですが、丁寧な作業は刃の後でわかりますね。
松永系の末弭本弭は形が穏やかで、どの弦もかけやすい形状です。
こなれてきたら、日の輪も月の輪もできる限り締めるように、弦をかけたいですね。

早く育て行きたいですが、まだまだ時間が取れません・・・

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流派東方不敗様
私の想像ですが、「為」に似た花押を押した約5年間の終わりとは、ちょうど昭和が終わった頃になるので、思うところがあって変更されたのではと思っています。
と言う事は、その後の花押は現在まで長く使用されている事からすると、ごく短期の間使用された貴重な弓となるのではと、かってに想像しています。
大事に使っていきたいと思います。
私の想像ですが、「為」に似た花押を押した約5年間の終わりとは、ちょうど昭和が終わった頃になるので、思うところがあって変更されたのではと思っています。
と言う事は、その後の花押は現在まで長く使用されている事からすると、ごく短期の間使用された貴重な弓となるのではと、かってに想像しています。
大事に使っていきたいと思います。
2017/12/28 Thu 10:08 URL [ Edit ]
流派東方不敗
ヒロさま
重昌師に聞かれましたか。
行動力がありますね。それが一番正確です。
そういう事情だったと納得です。
なぜ、後は違う花押なのでしょうね?
重昌師に聞かれましたか。
行動力がありますね。それが一番正確です。
そういう事情だったと納得です。
なぜ、後は違う花押なのでしょうね?
2017/12/10 Sun 16:03 URL [ Edit ]
流派東方不敗 様
松永重昌師と電話で直接話す事が出来、確認出来ました。
この「為」のような花押は昭和60年頃から約5年間位押していた
花押だそうです。
したがって、この花押の弓は約30年位たった枯れた弓で重昌師作になるようです。
松永重昌師と電話で直接話す事が出来、確認出来ました。
この「為」のような花押は昭和60年頃から約5年間位押していた
花押だそうです。
したがって、この花押の弓は約30年位たった枯れた弓で重昌師作になるようです。
2017/12/07 Thu 17:59 URL [ Edit ]
流派東方不敗
ヒロ様
勉強になりますね。
初代は肥後三郎に重児銘入りであったり、萬法銘だったり
いろいろとありましたから、銘や花押も自由というか、
定まってきたのが後期だったのかもしれませんね。
それで、重昌師が二代目肥後三郎として後を継いだ際に
花押で識別するようにしたのかもしれません。
しかし、そうなると三代目の変化がわかりませんね。
> 流派東方不敗様
>
> 花押は作者の意図する事が色々とあるようですね。
>
> 私の手元にもう一張り肥後三郎のニベ弓がありますが、やはり「為」みたいな花押です。
> これは20kgを超える弓なので現在は使用していません。
> このブログの中にある同じ花押の柴田勘十郎師が外竹打ち直しされた弓はニベ弓とおっしゃっている事からも推測すると、重児師がニベ弓に押した花押かもしれませんね。
> 色々とご伝授ありがとうございました。
>
> また、このブログから姫路の播磨竹禅さんを知り、外竹打ち直しを任せても大丈夫との思いでお願いしている次第です。
> これからも楽しみにブログ拝見しますので、よろしくお願いいたします。
勉強になりますね。
初代は肥後三郎に重児銘入りであったり、萬法銘だったり
いろいろとありましたから、銘や花押も自由というか、
定まってきたのが後期だったのかもしれませんね。
それで、重昌師が二代目肥後三郎として後を継いだ際に
花押で識別するようにしたのかもしれません。
しかし、そうなると三代目の変化がわかりませんね。
> 流派東方不敗様
>
> 花押は作者の意図する事が色々とあるようですね。
>
> 私の手元にもう一張り肥後三郎のニベ弓がありますが、やはり「為」みたいな花押です。
> これは20kgを超える弓なので現在は使用していません。
> このブログの中にある同じ花押の柴田勘十郎師が外竹打ち直しされた弓はニベ弓とおっしゃっている事からも推測すると、重児師がニベ弓に押した花押かもしれませんね。
> 色々とご伝授ありがとうございました。
>
> また、このブログから姫路の播磨竹禅さんを知り、外竹打ち直しを任せても大丈夫との思いでお願いしている次第です。
> これからも楽しみにブログ拝見しますので、よろしくお願いいたします。
2017/12/01 Fri 07:54 URL [ Edit ]
流派東方不敗様
花押は作者の意図する事が色々とあるようですね。
私の手元にもう一張り肥後三郎のニベ弓がありますが、やはり「為」みたいな花押です。
これは20kgを超える弓なので現在は使用していません。
このブログの中にある同じ花押の柴田勘十郎師が外竹打ち直しされた弓はニベ弓とおっしゃっている事からも推測すると、重児師がニベ弓に押した花押かもしれませんね。
色々とご伝授ありがとうございました。
また、このブログから姫路の播磨竹禅さんを知り、外竹打ち直しを任せても大丈夫との思いでお願いしている次第です。
これからも楽しみにブログ拝見しますので、よろしくお願いいたします。
花押は作者の意図する事が色々とあるようですね。
私の手元にもう一張り肥後三郎のニベ弓がありますが、やはり「為」みたいな花押です。
これは20kgを超える弓なので現在は使用していません。
このブログの中にある同じ花押の柴田勘十郎師が外竹打ち直しされた弓はニベ弓とおっしゃっている事からも推測すると、重児師がニベ弓に押した花押かもしれませんね。
色々とご伝授ありがとうございました。
また、このブログから姫路の播磨竹禅さんを知り、外竹打ち直しを任せても大丈夫との思いでお願いしている次第です。
これからも楽しみにブログ拝見しますので、よろしくお願いいたします。
2017/11/30 Thu 08:51 URL [ Edit ]
流派東方不敗
ヒロ様
確かに、2008のニベ肥後三郎は花押が違いますね。
これは古い肥後三郎ですので、重児作かもしれません。
ところが、重児万義を確認したのですが、
重児の下にある花押も松永万義の下にある花押も
重昌万義のものとほとんど同じように見えました。
よって、2017.04.26 肥後三郎の謎の花押のように
2008のニベ肥後三郎は何か理由があるかも知れません。
○推測
・重昌師が二代目を継ぐ前の作品である
・身近な人に作成している試供品的な作品
・重児師のニベはこの花押にしていた。
確かに、2008のニベ肥後三郎は花押が違いますね。
これは古い肥後三郎ですので、重児作かもしれません。
ところが、重児万義を確認したのですが、
重児の下にある花押も松永万義の下にある花押も
重昌万義のものとほとんど同じように見えました。
よって、2017.04.26 肥後三郎の謎の花押のように
2008のニベ肥後三郎は何か理由があるかも知れません。
○推測
・重昌師が二代目を継ぐ前の作品である
・身近な人に作成している試供品的な作品
・重児師のニベはこの花押にしていた。
2017/11/30 Thu 08:26 URL [ Edit ]
ご回答ありがとうございます。
お持ちの肥後三郎弓ニベ弓は重昌師の作であれば、2008.11.15のブログにある、勘十郎師のもとで外竹打ち直しして頂いた先代肥後三郎弓も重昌師の作なのでしょうか?
私の弓もこの肥後三郎銘と花押が全く一緒で、「為」と読める花押とよく拝見する「五」みたいな花押との違いがよくわからなくなってます。
お持ちの肥後三郎弓ニベ弓は重昌師の作であれば、2008.11.15のブログにある、勘十郎師のもとで外竹打ち直しして頂いた先代肥後三郎弓も重昌師の作なのでしょうか?
私の弓もこの肥後三郎銘と花押が全く一緒で、「為」と読める花押とよく拝見する「五」みたいな花押との違いがよくわからなくなってます。
2017/11/29 Wed 13:04 URL [ Edit ]
流派東方不敗
ヒロ様
はじめまして。
私の肥後三郎弓ニベ弓は、二代目つまり重昌師のものと推察されます。
重児師弓は万義くらいしか見たことが無いので、花押がどうであったか、
定かではありません。
本来、花押は個人を表すためのものです。よって花押を記してある
万義、ニベ、特製は重児師⇒重昌師⇒弘澄師と肥後三郎の主たる師が変わって
いくごとに変わるはずですが、万義以外は変わっていないように思えます。
万義も現在は三代目が製作されていると聞きますが。。。
分の厚さは握り下の厚さではなく、握りを外したら出てくる、籘頭辺りの芽節辺り
が正確かと思います。握り下の厚さとはそう変わらないと思いますが・・・。
> 初めまして、いつもブログ拝見しています。
> 肥後三郎の笄しているニベ弓を譲って頂き、現在ハザマさんに外竹の張替えを依頼しています。
> ところで2011.01.14にレポートされている特製のニベ弓の花押と全く同じなので、煤竹で作者は初代の重児さんになるんでしょうか?またこの花押は作者を表すものでは無いのでしょうか?
> わかればご伝授下さい。
> ちなみに握り革下の厚みが1.65cmなので五分五厘でしょうか、裏反りが30.5cmも有りました。古い弓ですが綺麗で美品です、ハザマチューンを楽しみにしています。
はじめまして。
私の肥後三郎弓ニベ弓は、二代目つまり重昌師のものと推察されます。
重児師弓は万義くらいしか見たことが無いので、花押がどうであったか、
定かではありません。
本来、花押は個人を表すためのものです。よって花押を記してある
万義、ニベ、特製は重児師⇒重昌師⇒弘澄師と肥後三郎の主たる師が変わって
いくごとに変わるはずですが、万義以外は変わっていないように思えます。
万義も現在は三代目が製作されていると聞きますが。。。
分の厚さは握り下の厚さではなく、握りを外したら出てくる、籘頭辺りの芽節辺り
が正確かと思います。握り下の厚さとはそう変わらないと思いますが・・・。
> 初めまして、いつもブログ拝見しています。
> 肥後三郎の笄しているニベ弓を譲って頂き、現在ハザマさんに外竹の張替えを依頼しています。
> ところで2011.01.14にレポートされている特製のニベ弓の花押と全く同じなので、煤竹で作者は初代の重児さんになるんでしょうか?またこの花押は作者を表すものでは無いのでしょうか?
> わかればご伝授下さい。
> ちなみに握り革下の厚みが1.65cmなので五分五厘でしょうか、裏反りが30.5cmも有りました。古い弓ですが綺麗で美品です、ハザマチューンを楽しみにしています。
2017/11/29 Wed 08:39 URL [ Edit ]
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