恩師追悼の意を込めて今回から思い出を綴ります。

流派東方不敗と恩師の出会いは、恩師が顧問を勤める高校の弓道部に入門したことから始まります。
流派東方不敗の地区では中学から弓道部がある学校はありません。同じ中学から進学したクラスメイト3人で弓道部の門を叩きました。
 そこで恩師との出会いが始まりました。非常に恰幅の良い、今で言うメタボ体型でしたが、坊主頭でバシバシきつい言葉を投げかける怖~い先生でした。
  流派東方不敗の高校は進学校で(流派東方不敗は違いますがW)代々弓道部から東大進学者が出ている名門部活動?でした。
「部活動は、勉強のための気分転換で行うこと」「よって学校からは6時に下校すること」が高校の方針でした。
出来の悪い流派東方不敗は補修も受けていたので、練習時間が・・・
 そんな中、恩師の指導というか、我々に言い放ったのは、
「お前らどれだけ弓道の練習を一生懸命しても、弓道で飯は食えない」「練習時間も限られている。練習時間の豊富な学校とは勝負にならん」、だから
弓道の練習が終わったら、帰って勉強しろ!!、シケタン(試験に出る英単語)の一つでもやれ」 ということでした。
 その割には土日は朝から来て、朝から一日中練習を見ていてくれましたが。。。よく、先輩たちと軟式テニスボールで野球を楽しそうにしている姿が印象的でした。
 指導方法は、引いて解説を入れながら見せることでした。「ええか、お前らの真似をしたら下手くそになって、直すのに困るが、こうやって弓を引いている。ここが違う、ここをこうやって引いて、・・・」という指導方法でした。自由練習の時は生徒よりたくさん引いていたような気がします。でも、よく中ってたな~~~。
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