2015.05.31 柴田勘十郎弓
 流派東方不敗の道場にY博士が加入して、稽古に来るようになりました。
流石、筋金入りの弓道具愛好家です。魚らん坂弓具店に引き続き、突っ込んでいただきました。そう、流派東方不敗が入店までも何年もかかり、購入には保津川ダイビングまでして決心して購入した、柴田勘十郎弓をしかもいきなりニベ弓を購入してきたのです。
合成弓を飛び越えて、いきなりニベ弓ですか。うらやましさのあまり、姑いびりのような「まずは合成弓からでしょう」的なコメントは差し控え拝見しました。
 4寸伸びニベ弓です。しかも気持ち鶉杢のようです。相変わらず、内竹の白さと櫨の黄色い天然素材が美しい。
IMG_1117.jpg左が流派東方不敗、右がY博士の勘十郎弓
 Y博士のニベ弓は新弓ですので、上成にニベ剥離予防の糸を巻いています。6月には新弓のため、里帰りし、最初の夏は柴田勘十郎弓店で空調管理の下過ごすことになります。
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 側木の黄櫨の美しさにしばし見とれていると、ニベだまりを発見し、またニンマリしてしげしげと見入ります。弓道具愛好家至福のひと時です。
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う~ん、美しい。エクセレント
 そして成りは、やはり京弓柴田勘十郎弓です。上成りの優しいカーブと下成りの鋭さ。これを分からない人は、輪からなんですよね、残念ながら。この弓を引きこなすか、寄り添って引き続けるか、決断ができたものだけが、味わえる京女です。
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 最近、柴田勘十郎弓店に飾っている弓を見ると、一般の弓引きの方が見ても違和感が無く、抵抗を覚えない成りの弓が見られるようになりました。この成りの弓であれば、とっつきやすいかもしれません。
 Y博士も柴田勘十郎ユーザーになりました。もう迷ってはいけません。信じるのです、信じるものは救われる。弓の作り手が意図する弓の使い方、性能を遺憾なく発揮するのが引き手である我々の務めです。
 柴田勘十郎弓に興味のある人は、先入観やネガティブな意見に惑わされることが無く、自分の目で確かめてください。そして自分の五感で弓の引き味を堪能して下さい。
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久し振り弓具ネタです。
 魚らん坂弓具店こと長谷川弓具店を訪問することを数度。いよいよ、矢の製作をお願いすることにしました。色々と打合せをしましたが、流派東方不敗がストックしている熊鷲の尾羽(ご禁制でない)をお試しで麦粒にして貰うことにしました。
 箆は並作をチョイスして並作の範囲でお試しの麦粒をお願いしました。出来上がった矢の結論から言いますと、
「麦粒の箆は尾羽なので当店の考えている矢飛びにはならないので、一文字にさせて下さい。」
「箆は流派東方不敗の注文より太くさせてください。箆張りの強さが取れません」
「出来上がった矢は、真直ぐ飛ぶ面白くない中る矢になります。」

「真直ぐ飛ぶ中る面白くない矢」魚らん坂弓具店の並箆んも矢は出来上がりました。丁度流派東方不敗の道場に、弓具に造詣の深いY博士が加入しまして、魚らん坂弓具店で上作を注文していましたので比較です。
 IMG_1080.jpg
 右がY博士の上箆「三郎」で、左が流派東方不敗の「並箆」マークです。ちなみにこれでは太さが体感できませんので、
次の写真をご覧ください。
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真ん中が普段、流派東方不敗が使っている昨年全日仕様の矢です。普段は2117のシャフトと同じ太さですので、約8.8ミリです。流派東方不敗の矢は9ミリ超、Y博士の矢はさらに太くてデカイという感じがします。
 そして筈穴のきり方も独特です。筈穴は大きめで、太いバサバサの中仕掛けを作って下さいとおっしゃる。
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 通常の流派東方不敗の矢の筈穴は2.0ミリなので、魚らん坂弓具の矢に普通の中仕掛けではスカスカで不安です。
鏃も特色があります。
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あまり見慣れない鏃(板付)です。この形は面白い。何か狙いがあるのでしょうか。
 そして、いよいよ試し引きでしたが、これが、真直ぐずどーんと飛ぶんですね矢師さんが同意としたのかは分かりませんが、流派東方不敗が当初望んでいた、伸びるような矢には程遠い。初めて2117の矢を引いたような矢飛びでした。
 良く中る、真直ぐ飛ぶ。しかーし、面白くない。我がままでしょうか。

 
 恩師がクラブの代表になりました。「流派東方不敗よ、わたしを支えて手助けして欲しい」と相談されました。そのときは、「分かりました、いい方向に進みたいのでやります」と約束をしました。
 恩師が代表をしている間に
初心者教室
「クラブ内研修会」
「師匠を招いた講習会」
などなど紆余曲折ありながら実施できました。何れも、今後の地域の弓道界の育成、裾野を広く広げる事業です。
 初心者教室では恩師が主任講師となって実施できましたが、その人たちは順調に育っています。こうして後へつないでいく事業が軌道に乗った頃に恩師に病魔が忍び寄っていたのでした。恩師から「体調に自信がない、これ以上は無理なので会長を退任したい」当時恩師の病状を良く知らない流派東方不敗は当然何度も慰留しました。絶望的な信じたくない病状を聞くまでは・・・。
 そこからの進行は早く、旅立ちのときを迎えることになりました。非常に残念なお別れでしたが、これから残された者で進んでいかねばなりません。恩師に薫陶を受けたものとして、受け継いでいかなくてはなりません。
 暫くして、恩師の息子さんが「弓道を再開したい」と道場にこられました。「仕事の関係でしばしばは来れないかもしれません。」といわれていましたが、なんとなくほっとしました。心が救われた気がしました。
 この人が良い弓引きになってもらうのはぼく達の責任だな。恩師から教わった弓を伝えていこう、そう心に誓いました。
ちょうど京都大会ですので、恩師との京都大会を振り返ってみます。
流派東方不敗が京都大会に挑み始めたときは五段以上しか出場できませんでした。よって、以前記載したとおり、四段以上に条件が緩和されても五段を取得するまで出場しませんでした。
 恩師にはこの京都大会でいろんなことを教えていただきました。相変わらず、自分が引くときは「見に来るな!!」でしたが
 当時は、武道センターと京都御所の清寧館の二会場でしたので、行ったりきたりでした。それがまた楽しかったです。移動している時や競技・審査を見ているときに色々と薫陶を受けた気がします。弓道具に関しては、「いいものをたくさん見ろ。」弓技は「自分の試合の時は人の射を見るな。人の射を見るときはこういうところで名人の射を研究して、技を盗め」そして、流派東方不敗にそれとなく、技術的な説明を良くしてくれていました。「あの射手は有名人で、ここがうまい絶品だ。あれはここをこうしてこのように動かす」などなど。そして、結局はオーソドックスで、中央の指導に沿った弓引きが上に上がっていく、第一線で長く弓を引き続けていることを示唆してくれていました。
 また、待合の時間に地元地連の先生や、近隣地連の先生も良く紹介していただきました。京都大会は恩師の流派東方不敗への実践教育の場でした。
 ある時、「流派東方不敗よ、矢を買うから清寧館の方へいこう」と言われ弓具店廻りをしました。
暫くすると、何故か「これがいい、流派東方不敗よどう思うか?」と聞かれたのは、吟翠14キロ伸「先生、矢買うんじゃ無かったですか?」「しかも14キロって、今18キロ位じゃないですか。」
 「年取って体力が落ちたらこれを引く」「吟翠なら、別に今買わなくても何時でもあるだろうに・・・」と思いましたが、成りは良かったし、「どうぞお買い求めになってください」という感じでした。たぶん、先生が最後に購入した弓だと思います。そして、最後の京都大会になったと記憶しています。最後の弓をしかも、弱い弓を購入したのは、何か思うところ、感ずるところがあったのでしょうか。