大学を卒業して、地元に帰り社会人として弓道に取り組むことになりました。復帰早々恩師に誘っていただき、国体予選に出場しました。遠近40射でしたが、遠近とも16中、良くも悪くも無い成績でした。ところが、予選会終了後当時地連会長であった故A範士が寄ってきて、恩師に「あれば誰だ?」ということで恩師に呼ばれました。
「流派東方不敗と申します。大学を卒業して帰って参りましたので、これからよろしくお願いいたします。」
「どこで弓道斜体文をしていたのか?」
「大学の弓道部では弓を引かず、一般の道場でお世話になっています」
恩師が 「流派東方不敗は☆☆先生に師事して、4年間お世話になったんですよ」
「何?☆☆先生のところでか?」「う~ん、わかった。これからがんばれ。」

恩師によると当時の地連の弓技は小離れ全盛の時代。流派東方不敗は大離れを習って初歩的段階の習得をしていましたが、地連の中では異質で非常に目立ったようです。「素人みたい」って評されることもありましたが、A範士は全日本弓道選手権にも再々出場されていたので、大離れが主流になっていることを十分理解していました。そして、活躍している☆☆先生(過去記事参照)のことも良くご存知でした。
 恩師も帰り道で、「今日引く様子を一日見ていたが、今の全国で活躍する引き方を身に着けてきたようだな」、「それを皆に教えてくれ。本場の弓をレクチャーしてくれ」とはげましてくれました。そうは言いながらも、習熟度不足であることは分かりますので、これから恩師の指導を受けながら二人三脚で稽古をすることになりました。
 
スポンサーサイト
大学時代の弓道修練ついては、最初の夏休みに帰ってきた時に「どこで稽古しているのか?受け入れてくれたのか?」と、言われましたので、
「○○というところで"1から"稽古をつけさせて頂いています。」
「よく訳の分からん大学生を受け入れてくれたな。1からということだが、お前たちの引くところを見ても1からだったのか?」
「はい、初心者と一緒に八節からやり直そう、ということで。
「誰という先生に教えてもらっているのだ?」
「クラブの会長は○○という人。あと、▲▲というおじいちゃんの範士とか言う人が時々来ています。それで、毎日☆☆先生が来て教えて頂いています。この先生、凄いうまいんですよ~」
「お前、☆☆先生に教わっているのか。」
「はあ?」
「知ってるのか?☆☆先生はなぁ、全日本でも優勝したりして全国級の相当凄い先生だ。知らんかったのか?」
・・・普通、高校生は一般の日本一になる先生など知りませんよ。
「そういうことであれば、しっかり本場の本物の弓を習ってきて私らに教えてくれ」
「来年から、夏休みに帰省したら後輩に教えてやってくれよ
その言葉通り、夏休みに外部講師招聘事業として、夏休みに3日間指導をする機会を母校で作っていただきました。勿論、大したことができた訳ではありませんが。
 大学に進学しましたが、その際にも大学弓道部に紹介状を書くわけでもなく、(誰にも書いてないみたいでした)
「見学に行って気に入ったら引いたらええ」と言われました。
大学の弓道部は見学に行きました。練習は半端なく長時間で、学生生活もかなり制限されるようでしたから、とても続けられる気がせず、入部即退部しました。そのことを恩師に話すと「お前たちは高校で厳しい練習をしていないから、体育会系は無理だよ」とさらっとコメントしてました。
 結局、同級生と一般の弓道場を訪ねて、弓を引くことになったのですが、これが大正解でした。同級生とタウンページにある弓道場に電話していきました。(当時はネットはありませんでしたから・・・)たまたま、最初に連絡した道場で、事情を説明したところ、「いいですよ来て下さい」ということで訪問し、初心者教室の人たちと一緒に引き始める事になりました。
何故、初心者教室の人と一緒に引くようになったかというと、段級を取っていなかったからです。それは、審査に受からなかったのではなく、審査を受けなかったからです。
 高校1年生の時に先輩たちが地方審査を1級や初段を受けました。恩師からすると「実力あり」の先輩たちでしたから結果を期待していたのですが、誰一人受からず・・・・。大激怒でした。よって恩師は
「お前たちはあんな見る目の無い奴等に金を払って見点もらう必要は無い!!」
「審査なんか受けなくて良い!!」
 という事で、流派東方不敗以降の後輩も恩師は審査受審させませんでした。「お前たちは在野でがんばれ!」との事でした。